原爆投下3日後に復旧
路面電車が充実し、「路面電車王国」と表現されることもある広島市。JR広島駅と中心繁華街、原爆ドーム、宮島などを結んでいるため、観光やビジネスで広島を訪れた際、お世話になった人も多いでしょう。
広島市の路面電車は1912(大正元)年に開業。現在まで100年以上にわたって、同地を走り続けています。きょう、2014年8月6日(水)から69年前のその日、1945(昭和20)年8月6日も、ごく当たり前に走っていました。
69年前の8月6日、朝8時15分。広島市上空で閃光が走った瞬間に路面電車は火に包まれ、大勢の乗客が命を落としました。路面電車は123両のうち108両が被災。線路も多大な被害を受け、全線で電車の運行が停止されます。
しかし、それからわずか3日後のことでした。路面電車が広島を再び走り出したのは。己斐~天満町間で運転が再開され、多くの市民を勇気づけたといいます。
原爆が投下されたその日その時間、広島の街を走っていた路面電車の車両が、いまも現役でその街を走っています。
広島市の路面電車は1912(大正元)年に開業。現在まで100年以上にわたって、同地を走り続けています。きょう、2014年8月6日(水)から69年前のその日、1945(昭和20)年8月6日も、ごく当たり前に走っていました。
69年前の8月6日、朝8時15分。広島市上空で閃光が走った瞬間に路面電車は火に包まれ、大勢の乗客が命を落としました。路面電車は123両のうち108両が被災。線路も多大な被害を受け、全線で電車の運行が停止されます。
しかし、それからわずか3日後のことでした。路面電車が広島を再び走り出したのは。己斐~天満町間で運転が再開され、多くの市民を勇気づけたといいます。
原爆が投下されたその日その時間、広島の街を走っていた路面電車の車両が、いまも現役でその街を走っています。
走り続ける2両の「被爆電車」
原子爆弾の被害を受けた車両のうち、650形車両の651号車と652号車が歴史を伝える「被爆電車」として、今なお現役です。
651号車は爆心地から1km弱離れた市役所付近で被爆。半焼してしまいましたが、翌1946(昭和21)年3月に修復され、再び走り出しました。
652号車は爆心地から4.5kmほど離れた宇品(広島港)付近で被爆。幸いにも大きな損傷は受けなかったため、早くも8月中に再び走り出しました。
このほかにも被爆、修復を経て復帰した車両は多くありますが、いまも現役であるのは651号車、652号車の2両のみです。主に平日のラッシュ時に使用されているほか、8月6日には毎年運転されています。
また広島市交通科学館には、同様に被爆したのち復活した「被爆電車」の654号車が展示されています。654号車は爆心地から約3km離れた江波付近で被爆、大破したのち、翌1946年2月に復旧。2006(平成18)年まで走り続けました。
651号車は爆心地から1km弱離れた市役所付近で被爆。半焼してしまいましたが、翌1946(昭和21)年3月に修復され、再び走り出しました。
652号車は爆心地から4.5kmほど離れた宇品(広島港)付近で被爆。幸いにも大きな損傷は受けなかったため、早くも8月中に再び走り出しました。
このほかにも被爆、修復を経て復帰した車両は多くありますが、いまも現役であるのは651号車、652号車の2両のみです。主に平日のラッシュ時に使用されているほか、8月6日には毎年運転されています。
また広島市交通科学館には、同様に被爆したのち復活した「被爆電車」の654号車が展示されています。654号車は爆心地から約3km離れた江波付近で被爆、大破したのち、翌1946年2月に復旧。2006(平成18)年まで走り続けました。
恵 知仁
最終更新:8月6日(水)11時43分