昭和20年8月15日から、68年後の今日もあの日と同じ暑さか・・・。
皆様にとって8月15日はどの様な一日でしょうか?
大陸・朝鮮半島の代理人となって、これらの国の虚偽を無垢な日本人に喧伝する者も目立ちますね。
物事を一面から見ていませんか?
物事は一面から見てはいけませんよ!。
事実を知ろうとしない耳も傾けない事もいけませんよ。
嘘・ねつ造に惑わされ、それを鵜呑みにしていませんか?
靖国神社には彰義隊や新撰組、会津藩士や白虎隊、西郷隆盛らの兵士は英霊とされていない。
まして2.26事件の兵士などは・・・。
新撰組や白虎隊、西郷隆盛ら薩摩軍、2.26事件の兵士なども「英霊」としているならいいのだが・・・。
歴史を忘れる民族とは
2013.8.3 03:04 msnニュース
先のソウルでの日韓サッカーで韓国の応援団が掲げた「歴史を忘れた民族には未来はない」と書かれた横断幕が、政治的宣伝行為ではないかと問題になっている。この文句は韓国の独立運動家で歴史家、言論人でもあった申采浩(シン・チェホ)(1880~1936年)の名言といわれる。しかし、出典とされる「朝鮮上古史」など彼の著書には実際には出てこない。どうも後世に彼の志をくんで作られたようだ。
彼が生きた時代は主に日本統治時代だが、いずれにしろこの文句は本来、韓国人自らに向けた戒めと激励のためであって、日本に向けたものではない。その意味は現時点でいえば、「日本に侵略され支配された歴史を忘れず、再びそういう悲劇を招かないようがんばろう」ということになる。ところが今や支配された方(韓国)が支配した方(日本)にしきりに「歴史を忘れるな」と言っている。
だから日本非難の政治的文言と疑われるのだが、あの言葉は当然のことで日本人もよく分かっている。それをまるで他者(日本)向けの話のように居丈高に言いつのることを申采浩はどう思っているだろうか。
とくに「あんたに未来はないよ」といわれると、どこかおせっかいな感じがして「自分の未来は自分で考えますから」と言いたくなるではないか。
日本や大陸の歴史書から歴史を盗み、自国に都合のよいように歴史を捏造する隣国の大統領が、
「歴史を直視しろ」という愚かさに呆れてしまいます。
朝鮮半島の歴史を直視しない、朝鮮半島の為政者たちは常に私利私欲の塊の者たちだと思う。
過去から嘘泣きを職業を重要視し重宝とする朝鮮民族は、嘘・ねつ造は正当な事とするDNAが無くならない民族である事を日本人は知っておかなければなりません。
見てくださいね。↓
http://youtu.be/iqhrRfJIy_c
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「日本はアジアの希望の光だ」
元ニューヨークタイムズ東京支社長 ヘンリー・S・ストークス
http://hassin.org/01/category/literat...
平成24年第2回アジアの民主化を推進する東京大会(代表:加瀬英明氏)は、日印国交樹立60周年を記念して行われました。講演は、ヘンリー・ストークス氏のほか、岡本幸¬治日印友好協会理事長が行いました。ペマ・ギャルポ教授ほか6人のアジア各国の代表がそれぞれの国の独立と民主化を訴えました。
http://www.youtube.com/watch?v=Fad-sf...
このあまりにも当たり前な「正論」が、早く日本の常識にならなければなりません。また世界の常識にもなっていくことを期待しています。
元ニューヨークタイムズ東京支社長 ヘンリー・S・ストークス
http://hassin.org/01/category/literat...
平成24年第2回アジアの民主化を推進する東京大会(代表:加瀬英明氏)は、日印国交樹立60周年を記念して行われました。講演は、ヘンリー・ストークス氏のほか、岡本幸¬治日印友好協会理事長が行いました。ペマ・ギャルポ教授ほか6人のアジア各国の代表がそれぞれの国の独立と民主化を訴えました。
http://www.youtube.com/watch?v=Fad-sf...
このあまりにも当たり前な「正論」が、早く日本の常識にならなければなりません。また世界の常識にもなっていくことを期待しています。
英文講演和訳
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ボースは「日本はアジアの希望の光です。」とハッキリ語っています。ボースはこう続けます。「このたび日本はインドの仇敵のイギリスに宣戦しました。」「日本はインド人に¬、独立のための千載一遇の機会を与えてくれました。われわれはそのことを自覚し、心から日本に感謝しています。」「ひと度この機会を逃せば、今後100年以上にわたりこの¬ような機会が訪れることはないでしょう。」「勝利はわれわれのものであり、インドが念願の独立を果たすと確信しています。」
重要なのは、言葉より行動でした。ビクトリア女王が「インド帝国」皇帝に即位して66年目にあたる1943年10月、自由インド仮政府が樹立されました。シンガポールでの¬大会で、ボースは満場の拍手をもって、仮政府首班に推挙されました。ボースは「チャロ・デリー」つまり「デリーへ!」と、進撃を宣言し、人々はそのメッセージを掲げて行進¬しました。祖国インドへ向けた歴史的な進撃の開始でした。
インド国民軍INAの将兵は日本軍とともに、インド・ビルマ国境を越え、インパールを目指し「チャロ・デリー!」と雄叫びをあげ、進撃しました。「われらの国旗を、レッド¬・フォートに掲げよ」そう言ってボースは将兵たちを激励しました。
自由インド仮政府は、日本とともに、イギリスアメリカに対して宣戦布告をしました。同年(1943年)11月5日より6日間にわたって東京で大東亜会議が開催されました。¬これは人類の長い歴史において、有色人種によって行われた最初のサミットとなりました。
東條首相、満州国の張景恵国務総理、中国南京政権の汪兆銘行政院長、フィリピンのラウレル大統領、ビルマのバー・モウ首相、タイのピブン首相代理であるワイワイタヤコン殿¬下の首脳が一堂に会し、ボースはインド代表を務めました。
今日、日本の多くの学者が大東亜会議は日本軍部が「占領地の傀儡」を集めて行った国内向け宣伝だったと唱えています。
しかし、そのようなことを言う日本人こそ、日本の魂を売る外国の傀儡というべきです。会議では大東亜共同宣言が満場一致で採択されました。
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重要なのは、言葉より行動でした。ビクトリア女王が「インド帝国」皇帝に即位して66年目にあたる1943年10月、自由インド仮政府が樹立されました。シンガポールでの¬大会で、ボースは満場の拍手をもって、仮政府首班に推挙されました。ボースは「チャロ・デリー」つまり「デリーへ!」と、進撃を宣言し、人々はそのメッセージを掲げて行進¬しました。祖国インドへ向けた歴史的な進撃の開始でした。
インド国民軍INAの将兵は日本軍とともに、インド・ビルマ国境を越え、インパールを目指し「チャロ・デリー!」と雄叫びをあげ、進撃しました。「われらの国旗を、レッド¬・フォートに掲げよ」そう言ってボースは将兵たちを激励しました。
自由インド仮政府は、日本とともに、イギリスアメリカに対して宣戦布告をしました。同年(1943年)11月5日より6日間にわたって東京で大東亜会議が開催されました。¬これは人類の長い歴史において、有色人種によって行われた最初のサミットとなりました。
東條首相、満州国の張景恵国務総理、中国南京政権の汪兆銘行政院長、フィリピンのラウレル大統領、ビルマのバー・モウ首相、タイのピブン首相代理であるワイワイタヤコン殿¬下の首脳が一堂に会し、ボースはインド代表を務めました。
今日、日本の多くの学者が大東亜会議は日本軍部が「占領地の傀儡」を集めて行った国内向け宣伝だったと唱えています。
しかし、そのようなことを言う日本人こそ、日本の魂を売る外国の傀儡というべきです。会議では大東亜共同宣言が満場一致で採択されました。
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- マッカーサーの議会証言
- 1951年5月3日 アメリカ議会 上院
- ”There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm. They lack cotton, they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack great many other things, all of which was in the Asiatic basin.
- They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore in going to war was largely dictated by security.”[12]
- 蚕を除けば、日本原産のものは実質的に何もありません。彼らはウールを欠いている、綿を欠いている。彼らは、石油製品が不足している。彼らは、スズを欠いている、彼らはゴムを欠いている、彼らはアジア地域に存在する多くの物資を欠いている。
- 彼らは、それらの供給が断たれた場合、日本では1千万から1千2百万までの人々が失業するだろうと恐れていた。戦争に突入した彼らの目的は、主に安全保障(security)上の観点からのものであった。
と答弁した。
上記「12歳」発言は、1951年5月5日に米上院軍事外交委員会において上院議員 R・ロングが行った「日本とドイツの占領の違い」に関する回答として行われたものである。マッカーサーは次のように回答した。
- 科学、美術、宗教、文化などの発展の上からみて、アングロ・サクソン民族が 45 歳の壮年に達しているとすれば、ドイツ人もそれとほぼ同年齢である。
- しかし、日本人はまだ生徒の時代で、まだ 12 歳の少年である。
- ドイツ人が現代の道徳や国際道義を守るのを怠けたのは、それを意識してやったのであり、国際情勢に関する無知のためではない。ドイツが犯した失敗は、日本人の失敗とは趣を異にするのである。
- ドイツ人は、今後も自分がこれと信ずることに向かっていくであろう。日本人はドイツ人とは違う。
あれから12歳の少年は何歳になったのでしょうね。