出ちゃったよ、ストップだな!
そうだな・・・。
昔なら破壊して知らんぷりできたけれど、これは大きいからムリだ。
福岡の地下鉄工事でも遺跡は出たけれど報告せず破壊した。まぁ所々では遺跡が出土したと報告し発掘調査させたけれどね。
調査すれば重要な遺跡とされた場所も在っただろうね。
明日香村は福岡みたいにできないからな・・・。
【明日香に巨大方墳】蘇我氏と血縁なく「新しい時代の象徴」舒明天皇
2015年1月15日 21時22分産経新聞
小山田遺跡で見つかった巨大方墳の被葬者の有力候補に挙げられる舒明天皇(在位629~641年)。
歴史上の知名度は低いが、内政だけでなく外交にも積極的に取り組み、万葉集では2番目に歌が登場するなど「偉大な天皇」として評価されていたようだ。
舒明天皇は、蘇我氏を倒し、大化の改新を進めた中大兄(なかのおおえ)皇子(天智天皇)や、壬申(じんしん)の乱を勝ち抜いた大海人(おおあま)皇子(天武天皇)の父親。万葉集(巻1)では、国内統一をほぼ成し遂げた21代の雄略天皇の歌に続く2番目に舒明天皇の歌が登場する。天香具山に登ったときに詠んだ「大和には 群山(むらやま)あれど とりよろふ…」という有名な国見の歌だ。
日本書紀は舒明天皇の治世を比較的淡々と伝えているが、当時、聖地とされた飛鳥(現在の飛鳥京跡)に最初に宮殿(岡本宮)を造ったのは舒明天皇。さらに百済(くだら)宮や、九重塔があったとされる百済大寺を造営した。対外的にも第1回遣唐使を派遣するなど内政・外交で積極的な政治を進めた。
千田稔・奈良県立図書情報館長は「推古天皇は蘇我系の天皇だったが、舒明天皇には蘇我氏の血は入っておらず、皇后も同じだ。舒明天皇は、強い権力を持っていた蘇我氏の束縛から逃れようとしていたと思う。当時の人たちは舒明天皇の誕生を新しい時代の始まりととらえ、偉大な天皇とみていたのではないか」としている。