●日本統治時代の台湾・・⑤ 原住民・高砂族・・絵葉書
明治27年(1894)、清朝が大日本帝国と戦った日清戦争に敗北したため、翌28年(1895)4月17日に締結された下関条約(馬關條約)に基づいて、台湾は清朝から大日本帝国に割譲され、それに伴い台湾省は設置から約10年という短期間で廃止され日本領土となった。
これ以降、台湾は大日本帝国の外地として台湾総督府の統治下に置かれることとなり、昭和20年(1945)、大東亜戦争終結まで50年間の統治で、未開の地「台湾」のインフラ整備、人材育成、農業開発など、国内内地並みに完成させた。【高砂族】
台湾原住民のうち、山地や東海岸や離島に居住し、漢人への同化が進まなかった民族を指す総称だが、現在はほとんど用いられない。
人口は約50万人。
清朝時代には「生番」、日本統治時代初期には「生蕃」と呼称されていたが、日本統治時代中期である1935年(昭和10年)6月4日に台湾総督府が公布した「戸口調査規定」において、先住少数民族に対する差別的呼称「生蕃」と「熟蕃」を「高砂族」と「平埔族」に改正した。
当時、学者の調査によると、衣装、風習、言葉、骨相などから16種族がそれぞれ分散集落をつくり、混在していたとのこと。
【生蕃せいばん】・・・言葉の違いなどで、中央の教化に従わない原住の人々。 第二次大戦前の日本統治時代、台湾の高山族(高砂族)のうち、漢民族に同化していなかったものをさして用いた言葉。
【蕃社ばんしゃ】・・日本統治時代、台湾の先住民族(高砂族)の集落や集団に対する呼称。
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・ ホウコトウ [高雄]ー[屏東]
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・ [鵝鑾鼻ガランビ]
日本の財を注ぎ、新領土「台湾建設」に携わった多くの日本人労働者が、台湾紹介に使用した絵葉書です。
・ 現代人と見違えるような表情の美男美女だ。