●日本統治時代の台湾・・⑬ 竹筏・水牛耕作などの風物・・絵葉書
明治27年(1894)、清朝は我が大日本帝国と戦った日清戦争に敗北したため、翌28年(1895)4月17日に締結された下関条約(馬關條約)に基づいて、台湾は清朝から大日本帝国に割譲され、それに伴い台湾省は設置から約10年という短期間で廃止され日本領土となった。
これ以降、台湾は大日本帝国の外地として台湾総督府の統治下に置かれることとなり、昭和20年(1945)、大東亜戦争終結まで50年間の統治で、未開の地「台湾」のインフラ整備、人材育成、農業開発など、国内内地並みに完成させた。【竹筏】てっぱい
竹を組んだ台湾の筏(いかだ)。大陸に近い台湾西海岸に多くみられることなどから、中国南部に起源するとみられ、中国南部(さらに東南アジア)の類似の竹の筏を「てっぱい」とよんでいる。海水用のテッパイは、真竹を曲げて舳先(へさき)、艫(とも)をつくり、両側をせり上げた緩い舟型であり、帆を用い複数のさし板を用いて安定性を増す。
真竹のほかに台湾特産のシチクも部分的に用い、皮をはいだ竹に塗料を塗り、籐(とう)を用いて前端のやや短い台形に組み立てた。最も大きいトアパイ(大筏)は約2.6メートル×7メートルもあり、3年程度使用できる。櫂(かい)や棹(さお)で操作している。
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・ [鵝鑾鼻ガランビ]
日本の財を注ぎ、未開の新領土「台湾建設」に精励した多くの日本人労働者が、台湾紹介に使用した絵葉書です。
真竹を筏に組んで、台湾南部の近海で使用されています。漁業用はかなり遠くまで出漁します。
竹筏はてっぱいと呼ぶ。台湾独特の舟で特に中南部地方に多い竹竿を組んだ小舟である。大小の丸竹を適当の長さに切り、その先端を少し湾曲させ、皮をはぎ水に浸しても腐らぬように枯らして組み合わせ、籐で組んで作る。