たま駅長社葬「一番混雑」
2015年6月28日(日) 21時17分掲載<たま駅長社葬>貴志川線「一番混雑した日」
和歌山電鉄貴志川線の貴志駅(紀の川市)で28日に営まれた「たま駅長」(雌、16歳)の社葬。国内外のたまファンら約3000人が参列。弔電は国内外から180通も届き、海外メディアも取材に入るなど人気の高さを改めて示した。設けられた献花台には花束のほか、カツオのキャットフードや煮干し、似顔絵なども供えられ、ファンは「天国でも駅長でいて」と遺影に手を合わせていた。(毎日新聞)
和歌山電鉄貴志川線の貴志駅(紀の川市)で28日に営まれた「たま駅長」(雌、16歳)の社葬。国内外のたまファンら約3000人が参列。弔電は国内外から180通も届き、海外メディアも取材に入るなど人気の高さを改めて示した。設けられた献花台には花束のほか、カツオのキャットフードや煮干し、似顔絵なども供えられ、ファンは「天国でも駅長でいて」と遺影に手を合わせていた。
【たま駅長社葬】貴志駅のコンコース内の様子を写真で
同駅では、午前10時25分着以降、軒並み乗車率100%になり、途中の駅から乗車できない人も出た。社葬が始まった午後0時半には、駅周辺は参列するファンであふれ、車道にはみ出ないように警察官が何度も注意を促すほどだった。
現場には、中東カタールの衛星テレビ「アルジャジーラ」の英語チャンネル「アルジャジーラ・イングリッシュ」の取材クルーも姿を見せた。9~10月に放送する番組用に小嶋光信社長を取材し、小嶋社長は「たまの魂は永遠に生き続ける。社葬後50日たてば、後継の駅長を披露したい」と答えていた。
会場となった同駅コンコースに入れなかったファンは、駅の横に設置された2台のモニターで葬儀を見守った。事前に先着順で整理券が配布されており、葬儀後はファンが順番に駅に入り、たまの遺影に最後の別れを告げていた。
県立向陽中2年の細川大輔さん(14)は「たまはおとなしくて愛嬌(あいきょう)があった。(残された)ニタマにも頑張ってほしい」とエールを送った。京都市右京区の僧侶、岩田慈観さん(46)は「たまは徳の高い、厳かな感じがにじみ出た猫だった」と語った。
駅構外にもファン用の献花台を設置。2匹の猫を乳母車に乗せ、三重県伊勢市から献花に訪れた看護師の世古尚子さん(45)は「堂々とした立派な猫だった」と悼んだ。津市に留学中で自筆の似顔絵を供えたドイツ人のアンナ・マスラウさん(23)は「ドイツのドキュメンタリー番組でたまを知った。4月に三重大に留学したが、たまに会えなかったのが残念」と悲しんだ。
社葬後、乗客を誘導していた同駅の亀本久喜助役(47)は「駅員見習いのころ、駅隣の商店の入り口にたまが堂々と横たわっていた。あれから10年たったが、たまは本当によく頑張った」とねぎらった。「貴志川線の未来を“つくる”会」の浜口晃夫代表(73)は「35年以上、貴志川線を見てきたが、今日ほど混雑した日はなかった。たまはいなくなったが、これからも和歌山電鉄や行政と協力して路線や地域を盛り上げたい」と話した。
【たま駅長社葬】貴志駅のコンコース内の様子を写真で
同駅では、午前10時25分着以降、軒並み乗車率100%になり、途中の駅から乗車できない人も出た。社葬が始まった午後0時半には、駅周辺は参列するファンであふれ、車道にはみ出ないように警察官が何度も注意を促すほどだった。
現場には、中東カタールの衛星テレビ「アルジャジーラ」の英語チャンネル「アルジャジーラ・イングリッシュ」の取材クルーも姿を見せた。9~10月に放送する番組用に小嶋光信社長を取材し、小嶋社長は「たまの魂は永遠に生き続ける。社葬後50日たてば、後継の駅長を披露したい」と答えていた。
会場となった同駅コンコースに入れなかったファンは、駅の横に設置された2台のモニターで葬儀を見守った。事前に先着順で整理券が配布されており、葬儀後はファンが順番に駅に入り、たまの遺影に最後の別れを告げていた。
県立向陽中2年の細川大輔さん(14)は「たまはおとなしくて愛嬌(あいきょう)があった。(残された)ニタマにも頑張ってほしい」とエールを送った。京都市右京区の僧侶、岩田慈観さん(46)は「たまは徳の高い、厳かな感じがにじみ出た猫だった」と語った。
駅構外にもファン用の献花台を設置。2匹の猫を乳母車に乗せ、三重県伊勢市から献花に訪れた看護師の世古尚子さん(45)は「堂々とした立派な猫だった」と悼んだ。津市に留学中で自筆の似顔絵を供えたドイツ人のアンナ・マスラウさん(23)は「ドイツのドキュメンタリー番組でたまを知った。4月に三重大に留学したが、たまに会えなかったのが残念」と悲しんだ。
社葬後、乗客を誘導していた同駅の亀本久喜助役(47)は「駅員見習いのころ、駅隣の商店の入り口にたまが堂々と横たわっていた。あれから10年たったが、たまは本当によく頑張った」とねぎらった。「貴志川線の未来を“つくる”会」の浜口晃夫代表(73)は「35年以上、貴志川線を見てきたが、今日ほど混雑した日はなかった。たまはいなくなったが、これからも和歌山電鉄や行政と協力して路線や地域を盛り上げたい」と話した。
たま駅長に「最後の辞令」
- たま駅長社葬に3000人“最後の辞令”で「名誉永久駅長」に任命
- スポーツ報知(2015年6月28日)
- たま駅長社葬・小嶋光信社長あいさつ全文「日本の地方鉄道を救った」
- THE PAGE(2015年6月28日)
- 社長あいさつ
- ネコの駅長として国内外で人気を集めた、和歌山電鉄貴志川線貴志駅(和歌山県紀の川市)の三毛猫「たま駅長」の社葬が28日午後から同駅構内でしめやかに営まれた。葬儀委員長を務めたのは、たま駅長をかわいがり、恩人でもある小嶋光信社長。あいさつの最後には、たま駅長に「名誉永久駅長」の辞令を出し、参列したファンの涙を誘った。そのあいさつの全文をお伝えする。たまちゃんと出会った2006年4月1日訃報に接しビックリし、ガッカリしました。22日に住友のお母さん(たま駅長の飼い主の住友利子さん)の方から具合が悪いときいていたので病院にお見舞いにいきました。
たまちゃんはずっと寝てたんですが、私に気づくとふと起き上がって、抱っこしてほしいと両手をさしのべてきました。両目はしっかりとして、快方に向かっていると聞き安心をしたところでした。
また1年したら就任10周年だから、10周年迎えようねといったら「ニャー」と明るい声で答えてくれて、必ず約束を守っていただけると思っていただけに大変残念に思っています。
たまちゃんとの出会いは2006年4月1日、前の日まで南海電鉄貴志川線さんがおやりになり、4月1日から和歌山電鉄として再生する日になったその日に、住友のお母さんに飼われていたんですけど。住むところを失い、ぜひ貴志駅においてほしいといわれ「なんとかしてあげたいなあ」とたまちゃんに会いにいくと、すごい目力で私をグッと見据えまして。その瞬間に、たまちゃんを救ってあげる方法は貴志駅の駅長にするしかないなとひらめきました。あなたの功績、日本の地方鉄道救った駅長に就任すると、我々の方でなにをどうしてほしいといったわけでもないのに、改札口によってお客様のお見送り、出迎え、ひまなときはプラットホームの見回りをしてくれていました。その姿が、マスコミの皆さんやインターネットで世界に配信されることになって、いっぺんに和歌山電鉄が知られるようになりました。
全国の待っていた地方鉄道にひかりがあたり、和歌山電鉄方式という厳しい70近くの地方鉄道が今後地域のために残るきっかというものができ、そして交通政策基本法というまでにつながっていったと思っています。あなたの功績というのは、日本の地方鉄道をすくったというように私は思っています。
地図URL:http://map.yahoo.co.jp/maps?lat=34.20933287986973&lon=135.31210395672912&z=14