イギリスでは首なし飛燕に空冷エンジンを搭載した五式戦闘機が保存されエンジンが始動できる状態であったと思いますが、本家本元がレストアすると言うのに飛ばないエンジンも始動しない様なレストアなどレストアとは言えないでしょう。
見かけだけ化粧し直って川崎重工も恥ずかしくないのかな?!
あッ、川崎重工は恥ずかしくない者が多い厚顔無恥の会社であり経営陣だった。
日本の新幹線技術や製造をシナに渡した売国奴たちが居る会社でしたね。そんな会社だから飛べる状態に復元できる機体であっても、飛ばそうとかエンジンが始動できる状態にしようとか思わないよね。
アメリカで保存した方が飛行可能状態か製造当時の状態にまで復元してくれますね。
私利私欲でお金を盗み取る者は多いのですが、世のため人の為にお金を使うお金の使い方を知らないアホが多いです。
飛行できる疾風も飛べなくしてしまった日本。入間基地で飛行した疾風を見た父は、返還された二式大艇も記録していた。
エンジンも始動でき、飛行可能な状態で返還された二式大艇も飛べなくしてしまった。バカばかりが多い日本の施設には呆れてしまうと言っています。
戦闘機「飛燕」:岐阜・各務原市に帰還 18年博物館展示
毎日新聞 2015年09月24日 10時00分
太平洋戦争当時、川崎航空機工業(現・川崎重工業)の岐阜県各務原市の工場で製造された旧日本陸軍の戦闘機「飛燕(ひえん)」の機体が、鹿児島県南九州市の知覧特攻平和会館から各務原市に帰還した。今後、損傷部分などを修復し、2018年春にも同市にリニューアルオープンする「かかみがはら航空宇宙科学博物館」に展示し、恒久保存される。
同社によると、飛燕は当時としては珍しい水冷式エンジンを搭載。戦時中に約3000機製造し、1941年に初飛行した。公開された機体は、当時100機しか製造されていない改良型「二型」の試作機だ。保管状態が良く、オリジナルの外形をとどめているのは世界にこの1機だけで、09年には経済産業省の近代化産業遺産群に認定されている。
機体は終戦時に米軍が接収。53年に日本航空協会に譲渡され、その後は23年間、各務原市の航空自衛隊岐阜基地で保管していた。特攻機に使われた機体として、87年オープンの知覧特攻平和会館に展示されていたが、飛燕を設計した土井武夫氏(04〜96年、山形市出身)の生誕110周年に合わせ、同社が各務原市への帰還を計画した。
同社の主任設計士だった土井氏は戦後も国産旅客機「YS11」の開発に携わるなど日本の航空機工業を世界水準に押し上げた技術者として知られる。
機体は今月8日に鹿児島から同工場へ運び込まれ、同18日に報道陣に公開された。同社は16年の創立120周年記念事業として、今月末から1年程度かけて戦時中とは異なる現在の塗装を塗り替え、損傷している計器類の復元などに取り組む。16年には神戸市で一時展示される。
同社の飛燕修復設計チーム、二宮崇さん(48)は「戦時中にここまできれいで立派な飛行機を作ったのはすごいこと。できる限りのことをして、在りし日の姿を多くの方に紹介できたら」と話している。【道永竜命】