太平洋戦争の残影 ⑥神風特攻隊・・3
昭和19年(1944)10月、連合艦隊はレイテ沖海戦に出撃したが、このときはじめて「神風特攻隊」が、米艦隊に体当り攻撃を加えた。さらに、沖縄決戦で神風攻撃は最高潮に達し、連合軍を恐慌状態に追い込んだ。
戦局の緊迫につれ、日本軍はあらゆる方法で海に陸に特攻作戦を展開し、強大な連合軍に対抗していった。
この捨身の反撃は、連合軍将兵に不可解な不安と得体の知れない恐怖を与えたえ、“カミカゼ”は“特攻の恐怖”の代名詞となった。
昭和19年(1944)11月25日、神風特別攻撃隊1機目が米空母イントレピッド(USS Intrepid)に突入した。
昭和20年(1945)3月18日、4月16日にも特攻機の突入を受けたが沈む事無く終戦を迎えている。
命を捨てて特攻機を命中させても「轟沈」は難しかった様だ。
イントレピッドは、計5回特攻攻撃を受けている。
神風特別攻撃隊「第2銀河隊」昭和20年4月2日、宮崎基地より「銀河」1機で出撃。(沖縄戦線)
3機目が船体中央部にそれぞれ命中して、駆逐艦「ニューコム」の船体中央は火を噴く廃墟と化した。
14:43 鹿屋基地を出撃した神風特別攻撃隊第五建武隊の爆装零戦が低空飛行により、米戦艦「ミズーリ」の右舷甲板に体当たりを敢行した。
(まさにその瞬間を撮らえた写真)
しかし搭載爆弾は不発・・。ミズーリは表面に損傷を受けた程度で速やかに消火作業が行われ鎮火している。
その後、搭乗員の遺体(ほぼ上半身のみ)が40mm機銃座から回収された。
(鼻と口が確認できる)
戦艦ミズーリに突入した隊員は、石井兼吉2飛曹か石野節男2飛曹のどちらかと見られている。
戦艦ミズーリ艦長ウイリアム・キャラハン海軍大佐は、多くの乗組員の不満の声があがる中、「この日本のパイロットは我々と同じ軍人である。生きている時は敵であっても今は違う。激しい対空砲火を掻い潜ってここまで接近してきたパイロットの勇気と技量は、同じ武人として称賛に値する。よってこのパイロットに敬意を表し、水葬に付したい」とし、翌朝9時艦上にて米海軍のしきたりに則り、星条旗に包まれた遺体は木製の担架に乗せられ、5発礼砲と共に海に葬られた。
(日本海軍特攻隊員水葬が行われた4月12日の午後、「ミズーリ」は再び特攻機による猛攻を受けた)
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この戦艦「ミズーリ」の甲板上で「日本の降伏文書調印式」が行われた。