夕方から東京は雷雨に見舞われました。一度通り過ぎた後、再びまた雨が降り出し、短時間でしたが、少し強く降っていました。今また雷鳴が遠くで聞こえています。
建物が冷やされたせいか、クーラーをつけっぱなしにすると寒く感じられ、つけたり消したりを繰り返しています。
広島の事件も山口の事件も、手口もその容赦ない殺害方法も正気を疑うほどですが、何故相手を殺さなければならなかったのかの整合性が読み取れません。
そして、夢から覚めて、殺した後の我が身がまだこの世にあることに、右往左往しているようにも見えました。逃げようとした娘を探した母親の心境もわからなくはないですが、人を手にかけたことに対する罪が軽いはずもなく、速やかに警察に出頭するように諭すのが本道だったのではないでしょうか。
同じく小学生の子が高齢者を跳ね、重度障害にしてしまったことへの賠償金が、9500万円であったことも話題となりました。たとえ子供といえども、他人の一生を奪ってしまえば、相応の罰が与えられて当然です。
普段から、危ない乗り方をしていないか、子に配る目がなかったのだということでしょう。逆に車にぶつかっていれば、この子の命はなかったということで、親はそのことにも思いを至らすべきではないでしょうか。
未成年の場合は、子の責任は親の責任です。子育てとは、子のすることにまで責任を持たなければなりません。親は、子のした恥ずべき行為を正視して、真摯に詫びなければなりません。
それと合点がいかなかったのが、広島の事件のときの警察の対応です。容疑者の少女が親に付き添われて自首した後、遺棄した遺体が見つからなかったとして、少女を家に帰しています。
その後、罪の重さに気づいて怖くなった容疑者の少女は逃亡を企てており、母親が探しましたが、もし見つからなければ、警察の失態として大々的に報道されていたことでしょう。
事実は小説より奇なりとも言います。高校生の少女が一人で殺人をしたという最初の自首は、嘘が多くて警察も本気に出来なかったのでしょうが、事が殺人なだけに、もっと慎重な対応は出来なかったのでしょうか。
最近は、大勢の人間で、卑怯にも騙して呼び出しをし、一人の人間を暴行の挙句殺害するという事件が後を絶たず、せっかく電車に挟まった人を助けて日本国の品位が上がっても、手放しでは喜べないのが実情です。
日本では群集心理が悪いほうに働くという事件が、オウムなどでもありましたが、その傾向の強い民族なので、常に自分の行動に疑念を抱き、自分で自分を律する強さが必要なのだと思いました。