慰安婦問題「河野談話」作成までの経緯・・①
政府が6月20日に公表した「河野談話」の検証報告書は、いわゆる従軍慰安婦問題に関する表現を巡り、日韓両政府が直前まで綿密に打ち合わせていた舞台裏が浮き彫りになりました。
河野談話を起点として、ここ数年で韓国の喧伝により「慰安婦問題で旧日本軍が直接関与した」とする誤解は世界に拡散されております。
事実関係の調査を蔑にして、韓国との政治的妥協と外交的配慮を優先した、極めて問題の大きな「日韓合作の談話」であり、韓国に完全に揚げ足を取られ、自国を窮地に追いやっていたのです。
● 談話を作る際、日韓両政府は表現を事前調整した。
● 両政府は事前調整したことは非公表とすることで一致していた。
● 日本は「強制性」を裏付ける資料はないと認識。
● 韓国人元慰安婦の聞き取りの、裏付け調査は行われなかった。
● アジア女性基金で韓国人元慰安婦61人に「償い金」が支払われた。
以下、「検証報告書」全文を順に掲載して参ります。【I】河野談話の作成の経緯を1~5により順次説明。
1・・宮澤総理訪韓に至るまでの日韓間のやりとり(~1992年(平成4年)1月)
2・・宮澤総理訪韓から加藤官房長官発表(調査結果の発表)までの間の期間の日韓間のやりとり(1992年1月~1992年7月)
3・・加藤官房長官発表から河野官房長官談話前の間の期間の日韓間のやりとり(1992年7月~1993年8月)
4・・元慰安婦からの聞き取り調査の経緯
5・・河野談話の文言を巡るやりとり → 「河野談話発表」(1993年(平成5年)8月3日)
【II】韓国における「女性のためのアジア平和国民基金」事業の経緯
1・・宮澤総理訪韓に至るまでの日韓間のやりとり(~1992年1月)
(1)1991年(平成3年)8月14日に韓国で元慰安婦が最初に名乗り出た後,同年12月6日には韓国の元慰安婦3名が東京地裁に提訴した。
1992年1月に宮澤総理の訪韓が予定される中,韓国における慰安婦問題への関心及び対日批判の高まりを受け,日韓外交当局は同問題が総理訪韓の際に懸案化することを懸念していた。
1991年1月以降,韓国側より複数の機会に,慰安婦問題が宮澤総理訪韓時に懸案化しないよう,日本側において事前に何らかの措置を講じることが望ましいとの考えが伝達された。
また,韓国側は総理訪韓前に日本側が例えば官房長官談話のような形で何らかの立場表明を行うことも一案であるとの認識を示し,日本政府が申し訳なかったという姿勢を示し,これが両国間の摩擦要因とならないように配慮してほしいとして,総理訪韓前の同問題への対応を求めた。
既に同年12月の時点で,日本側における内々の検討においても,「できれば総理より,日本軍の関与を事実上是認し,反省と遺憾の意の表明を行って頂く方が適当」であり,また,「単に口頭の謝罪だけでは韓国世論が治まらない可能性」があるとして,慰安婦のための慰霊碑建立といった象徴的な措置をとることが選択肢に挙がっていた。
(2)日本側は,1991年12月に内閣外政審議室の調整の下,関係する可能性のある省庁において調査を開始した。
1992年1月7日には防衛研究所で軍の関与を示す文書が発見されたことが報告されている。
その後,1月11日にはこの文書について朝日新聞が報道したことを契機に,韓国国内における対日批判が過熱した。
1月13日には,加藤官房長官は,「今の段階でどういう,どの程度の関与ということを申し上げる段階にはありませんが,軍の関与は否定できない」,「いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた方々に対し,衷心よりお詫びと反省の気持ちを申し上げたい」との趣旨を定例記者会見で述べた。
・ 宮澤総理 盧泰愚大統領
(3) 1992年1月16日~18日の宮澤総理訪韓時の首脳会談では,盧泰愚(ノテウ)大統領から「加藤官房長官が旧日本軍の関与を認め,謝罪と反省の意を表明いただいたことを評価。今後,真相究明の努力と,日本のしかるべき措置を期待する」との発言があり,宮澤総理から,「従軍慰安婦の募集や慰安所の経営等に旧日本軍が関与していた動かしがたい事実を知るに至った。日本政府としては公にこれを認め,心から謝罪する立場を決定」,「従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた方々に対し,衷心よりお詫びと反省の気持ちを表明したい」,「昨年末より政府関係省庁において調査してきたが,今後とも引き続き資料発掘,事実究明を誠心誠意行っていきたい」との意向を述べた。
2・・宮澤総理訪韓から加藤官房長官発表(調査結果の発表)までの間の期間の日韓間のやりとり(1992年1月~1992年7月)
(1) 宮澤総理訪韓後,1992年1月,韓国政府は「挺身隊問題に関する政府方針」を発表し,「日本政府に対して徹底的な真相究明とこれに伴う適切な補償等の措置を求める」とした。
日本側では,真相究明のための調査に加えて,「65年の法的解決の枠組みとは別途,いわゆる従軍慰安婦問題について人道的見地から我が国が自主的にとる措置について,韓国側とアイディアを交換するための話し合いを持つ」ことが検討され,韓国側の考え方を内々に聴取した。
(2)日本側は,1991年12月に開始した各省庁における関連資料の調査を1992年6月まで実施した。
韓国側からは,調査結果発表前に,当該調査を韓国の政府及び国民が納得できる水準とすることや,調査結果発表について事務レベルで非公式の事前協議を行うことにつき申し入れがあった。
また,発表直前には,韓国側から,調査結果自体の発表の他,当該調査結果についての日本政府の見解の表明,調査に続く措置の案の提示が含まれるべき旨意見が呈されるなど,調査結果の発表ぶりについて韓国側と種々のやりとりが行われた。
調査結果の内容について,韓国側は,日本政府が誠意をもって調査した努力を評価しつつ,全般的に韓国側の期待との間には大きな差があり,韓国の国民感情及び世論を刺激する可能性があると指摘した。
その上で,募集時の「強制性」を含めて引き続きの真相究明を行うこと,また,「後続措置」(補償や教科書への記述)をとることを求めるコメントや,「当時の関係者の証言等で明らかな強制連行,強制動員の核心となる事項が調査結果に含まれていない点に対する韓国側世論の動向が憂慮される」とのコメントがなされた。
なお,韓国政府は,日本政府による調査結果の発表に先立ち,1992年7月,慰安婦問題等に関する調査・検討状況を発表したが,その際にも日本側に対し事前にコメントするよう要請し,結果として,両国で事前調整が行われた。
(3)1992年7月6日,加藤官房長官は,記者会見においてそれまでの調査結果を発表した。
官房長官より,関係資料が保管されている可能性のある省庁において資料の調査を行った結果として,「慰安所の設置,慰安婦の募集に当たる者の取締り,慰安施設の築造・増強,慰安所の経営・監,慰安所・慰安婦の衛生管理,慰安所関係者への身分証明書等の発給等につき,政府の関与があったこと」を認め,「いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた全ての方々に対し,改めて衷心よりお詫びと反省の気持ちを申し上げたい」,「このような辛酸をなめられた方々に対し,我々の気持ちをいかなる形で表すことができるのか,各方面の意見を聞きながら,誠意をもって検討していきたいと考えております」と発言した。
他方,徴用の仕方に関し,強制的に行われたのか,あるいは騙して行われたのかを裏付ける資料は調査で出てこなかったのかと問われ,「今までのところ,発見されておりません」と応じた。
(4)なお,韓国側は,「補償」やその日韓請求権・経済協力協定との関係については,法律論で請求権は処理済みか検討してみないとわからないとしたり,現時点では日本側に新たに補償を申し入れることは考えていないと述べたりするなど,韓国国内に種々議論があったことがうかがえる。
3・・加藤官房長官発表から河野官房長官談話前の間の期間の日韓間のやりとり(1992年7月~1993年8月)
(1)加藤官房長官発表の後も,韓国の世論においては慰安婦問題に対し厳しい見方が消えなかった。
かかる状況を受け,内閣外政審議室と外務省の間で,慰安婦問題に関する今後の措置につき引き続き検討が行われた。
1992年10月上旬に外務省内で行われた議論では,盧泰愚政権(注:韓国は1992年12月に大統領選挙を実施)の任期中に本件を解決しておく必要があると認識されていた。
同じく10月上旬には石原官房副長官の下で,内閣外政審議室と外務省の関係者が,慰安婦問題に関する今後の方針につき協議した。
同協議では,慰安婦問題につき,今後検討する事項を,
①真相究明に関する今後の取組,
②韓国に対する何らかの措置,
③韓国以外の国・地域に対する措置,
④日本赤十字社(以下「日赤」)への打診(②を実施するための協力要請),
⑤超党派の国会議員による懇談会の設置とする方針が確認された。
このうち、真相究明については,資料調査の範囲を拡大するが,元慰安婦からの聞き取りは困難であるとしている。
また,韓国への措置については,日赤内に基金を創設し,大韓赤十字社(以下「韓赤」)と協力しつつ,元慰安婦を主たる対象とした福祉措置を講ずることとされている。
(2)上記方針を受け,10月中旬に行われた日韓の事務レベルのやりとりでは,日本側より,非公式見解としつつ,
①日赤に基金を設置し,韓国等の国々に慰安婦問題に対する日本の気持ちを表すための措置を講ずる,
②真相究明については,対象となる省庁の範囲を広げたり,中央・地方の図書館の資料を収集す
これに対し,韓国側からは,
①重要なのは真相究明である,
②強制の有無は資料が見つかっていないからわからないとの説明は韓国国民からすれば形式的であり,真の努力がなされていないものと映る,
③被害者及び加害者からの事情聴取を行い,慰安婦が強制によるものであったことを日本政府が認めることが重要である等の反応があった。
(3)こうした韓国側の反応を受け,日本側において改めて対応方針の検討が行われた。
10月下旬,未来志向的日韓関係の構築のため,韓国の政権交代までに本件決着を図るよう努力するという基本的立場の下,
①真相究明(資料の調査範囲の拡大,元従軍慰安婦代表者(数名)との面会の実施といった追加措置をとり,結論を導く。「強制性」については明確な認定をすることは困難なるも,「一部に強制性の要素もあったことは否定できないだろう」というような一定の認識を示す。)と
②「我々の気持ちを表すための措置」(日赤内に基金を創設し,韓赤と協力しつつ,主に福祉面での措置を想定)をパッケージとすることで本件解決を図ることを韓国側に提案する方針を決定し,韓国側に伝達した。
(4) しかし,1992年12月の大統領選挙との関係で,韓国側では検討はあまり進んでおらず,本格的な議論は大統領選挙後に行いたいとの反応であったため,日本側は,韓国新政権のスタッフと調整を行い,早期かつ完全な決着をめざすとの方針を決定した。
その際,今後の対応として,
①真相究明のための措置を実施する,
②後続措置の内容について可能な限りさらに具体化する,
③「後続措置とセットの形で,真相究明の措置の結果として」,「一部に『強制性』の要素もあったと思われる」など一定の認識を示すことを再度韓国側に打診することとなった。
その際,真相究明のための措置として,
①調査範囲の拡大,
②韓国側調査結果の入手,
③日本側関係者・有識者よりの意見聴取,
④元従軍慰安婦代表からの意見聴取が挙げられているが,元慰安婦代表からの意見聴取については「真相究明の結論及び後続措置に関して韓国側の協力が得られる目処が立った最終段階で」,「必要最小限の形で」実施するとしている。
(5) 1992年12月,韓国大統領選挙と前後して,日本側は累次にわたり,韓国側に対して基本的な考え方を説明した。真相究明については,
①日本政府はこれまで真相の究明に努力してきたが,100%の解明はそもそも不可能である,
②慰安婦の募集には,「強制性」があったケースもなかったケースもあろうが,その割合をあきらかにすることはできないであろう,
③最後の段階で,日本政府関係者が慰安婦の代表と会って話を聞き,また韓国政府の調査結果を参考にして,強制的な要素があったということを何らかの表現にして政府の認識として述べてはどうかと考えている等の説明を行った。
これに対し,韓国側は,
①理論的には自由意志で行っても,行ってみたら話が違うということもある,
②慰安婦になったのが自分の意志でないことが認められることが重要である等述べた。
後続措置に関しては,日本側より,法律的には片付いているとしつつ,ことの本質から考えて単に違法行為があったということでなく,モラルの問題として誠意をどう示すかの問題として認識している,措置をとるにあたって,韓国側の意見は参考としてよく聞くが,基本的には日本が自発的に行うものである等の説明を行った。
・ ・ 金泳三大統領
(6) 1993年(平成5年)2月には,金泳三(キムヨンサム)大統領が就任した。1993年2月~3月頃の日本側の対処方針に係る検討においては,基本的考え方として,「真相究明についての日本政府の結論と引き換えに,韓国政府に何らかの措置の実施を受け入れさせるというパッケージ・ディールで本件解決を図る」,「真相究明については,半ば強制に近い形での募集もあったことについて,なんらかの表現により我々の認識を示すことにつき検討中」,「措置については,基金を創設し,関係国(地域)カウンターパートを通じた福祉措置の実施を検討」としていた。
「強制性」については,「例えば,一部には軍又は政府官憲の関与もあり,『自らの意思に反した形』により従軍慰安婦とされた事例があることは否定できないとのラインにより,日本政府としての認識を示す用意があることを,韓国政府に打診する」との方針が示されている。
また,元慰安婦の代表者からの事情聴取に関しては,「真相究明の結論及び後続措置に関し,韓国側の協力が得られる目途が立った最終的段階で,他の国・地域との関係を考慮しつつ,必要最小限の形でいわば儀式として実施することを検討する」とされている(聞き取り調査については後述)。
(7) 1993年3月13日,2月に就任した金泳三韓国大統領は,慰安婦問題について,「日本政府に物質的補償を要求しない方針であり,補償は来年から韓国政府の予算で行う。そのようにすることで道徳的優位性をもって新しい日韓関係にアプローチすることができるだろう」と述べた。
同年3月中旬に行われた日韓の事務方の協議において,日本側は,
①慰安婦問題の早期解決,
②韓国政府による世論対策の要請,
③前出の大統領発言を受けての韓国政府の方針と日本による措置に対する韓国側の考え方の確認等を軸とする対処方針で協議に臨んだ。
この対処方針の中で日本側は,「真相究明の落とし所として,日本政府として『強制性』に関する一定の認識を示す用意があることを具体的に打診する。また,韓国政府の仲介が得られれば,本件措置のパッケージの一環として元慰安婦代表(複数可)との面会を実施する用意があることを打診する」としている。
同協議の場において,韓国側は,日本側の認識の示し方について,事実に反する発表はできないであろうが,(例えば,何らかの強制性の認定の前に,「軍は募集に直接関与したことを示す資料は発見されなかったが」等の)複雑な「前置き」は避けるべきと考える旨述べた。
同年4月1日の日韓外相会談では,渡辺外務大臣より,「強制性」の問題について「全てのケースについて強制的であったということは困難である」,「両国民の心に大きなしこりが残らないような形で,日本政府としての認識をいかに示すかぎりぎりの表現の検討を事務方に指示している」,「認識の示し方について,韓国側と相談したい」等と韓昇洲外務部長官に伝達した。
(8)一方,韓国側は,それまで真相究明のやり方については韓国側としていちいち注文を付けるべきことではなく,要は誠意をもって取り進めていただきたいとの姿勢であったのが,前述の93年4月1日の日韓外相会談頃から,韓国国内の慰安婦関係団体が納得するような形で日本側が真相究明を進めることを期待する,また,韓国政府自体は事態収拾のために国内を押さえつけることはなし得ないとの姿勢を示し始めた。
1993年4月上旬に行われた日韓の事務方の意見交換の際にも,日本側の働きかけに対し,
①日本側が真相究明のためにあらゆる手をつくしたと目に見えることが必要,いたずらに早期解決を急ぐべきではない,
②慰安婦は一部のみに強制性があったということでは通らないのではないか,
③韓国政府としては,日本側と決着を図り,韓国世論を指導するとか抑え込むということはなし得ない,要は日本政府の姿勢を韓国国民がどう受け取るかにつきる,との見解を述べた。
更に,同年4月下旬に行われた日韓の事務方のやりとりにおいて,韓国側は,仮に日本側発表の中で「一部に強制性があった」というような限定的表現が使われれば大騒ぎとなるであろうと述べた。
これに対し,日本側は,「強制性」に関し,これまでの国内における調査結果もあり,歴史的事実を曲げた結論を出すことはできないと応答した。
また,同協議の結果の報告を受けた石原官房副長官より,慰安婦全体について「強制性」があったとは絶対に言えないとの発言があった。
(9) 1993年6月29日~30日の武藤外務大臣訪韓時には、武藤外務大臣より,「客観的判断に基づいた結果を発表し,本問題についてのわれわれの認識」を示すとした上で,「具体的にどういう表現にするかについては,日本側としても韓国国民の理解が得られるようぎりぎりの努力を行う所存であるが,その際には韓国政府の大局的見地からの理解と協力を得たい」旨述べた。
韓昇洲外務部長官からは,日本側の誠意あふれる発言に感謝するとしつつ,重要な点として,「第一に強制性の認定,第二に全体像解明のための最大の努力,第三に今後とも調査を継続するとの姿勢の表明,第四に歴史の教訓にするとの意思表明である。
これらがあれば」,「韓国政府としても」,「本問題の円満解決のために努力していきたい」との発言があった。
また,韓国側からは,日本に対し金銭的な補償は求めない方針であるとの説明があった。
4・・元慰安婦からの聞き取り調査の経緯・・へ続く・・
●内閣府の「慰安婦を巡る日韓間のやりとりの経緯」6/20 ・・↓
http://www.mofa.go.jp/files/000042173.pdf