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あなたにできますか?!

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真田山にある「真田山陸軍墓地」で咲き誇る英霊の桜=大阪市天王寺


ブログをしている方の中には、この女子大生の行動を右翼だとか右翼的と思う者もいるだろうが、そう思う前にあなたにできるか!?と問いたい。

反日本国的ブログが善良なる日本国民ではない事が理解できない者が居る事が悲しいですね。






陸軍墓地の未来を憂う、平成生まれの女性の思い

2013.11.26 10:44
コラム【大阪特派員】戦後は荒れ放題となった陸軍墓地…から続く
 大阪市にある真田山陸軍墓地の保存・整備に関わり、護り続けようとする平成生まれの女性がいる。京都造形芸術大学大学院の永田綾奈さん(23)。明治4年に造られた日本最古の陸軍墓地には、約1万5千平方メートルの敷地に、旧陸軍将兵らの墓碑約5800があり、納骨堂には8200柱が眠る。荒れ放題の全国の陸軍墓地が多い中、大阪には、陸軍墓地を護る人々がいる。来春からは、同墓地の保存・整備に民間企業として大きな貢献をしているタカラベルモント株式会社に入社し永田さんは活動を続ける。その憂いと思いを聞いた。
(大阪特派員 近藤豊和)
--真田山の活動に関わったきっかけは
 「大学3年生の時に、大阪電気通信大の小田先生(=康徳教授)を中心とした真田山の納骨堂調査が本格的に始動し始めた際に、調査メンバーの一人である西川寿勝先生から、私の所属している京都造形芸術大学歴史遺産学科の伊達仁美教授に手伝う学生がいないかというお話がきたことでした。その時は、戦争時の生活文化に興味を持っていたので、伊達先生からの手伝いの話を引き受けました。その後、卒論で納骨堂の他2施設を含めた文化財害虫の生息調査を行い、大学院に進む前に維持会のほうから伊達先生の方に墓石の修復の相談を持ちかけられ、現在に至っています」
--真田山陸軍墓地について考えること
 「まず、感じたのは、墓石の劣化が思っていた以上に激しいことと、劣化が進行している墓石の多いことでした。現在、修復の手段を考えていますが、数が多く、全ての墓石を管理するのは少人数では難しいです。去年の夏から調査に入っているのですが、1年で劣化が進行したことが見て取れるほど、現在も劣化が進行していっています。
遺族の方々も年々少なくなってきており、お参りされることがないお墓も多いです。先日、研究の関係で墓石を水洗いしてきました。苔(コケ)や泥などを取り除き、きれいになった墓石を見て、このままの状態を維持して、劣化を防がなければと、今の研究の大切さを改めて考えさせられました。今の研究をし始めて大学などで真田山について話すことがあるのですが、そのなかで地域の人、大阪の人がこの墓地について知っている人が少ないことに、驚きました。ある人からは、毎日前を通っていたが墓地について知らなかったという話を聞きました。意外と知らない人が多いのです」
 「私自身、陸軍墓地について、真田山に関わるまで知りませんでした。また、全国各地に同じ陸軍墓地、または海軍墓地があることも知りませんでした。今の研究をしているなかで、自分の地元の陸軍墓地にも行ったのですが、そこは何度も前を通ったことがある所にありました。先ほどの、墓地について知らなかったという立場は私でもあったのです。遺族の方も年々少なくなってきていると聞いています。戦争について、知らない世代が多くなり、さらに墓地について知らない人が多くなっていくのではと、また同じように戦争について風化していくのかとも感じさせられました」
--社会人になっても、真田山の活動に加わるうえでの、気持ちは
 「まずは、真田山のことを、多くの人に知ってもらいたいことです。戦争を風化させることなく、戦争遺跡、歴史遺産として、ここを知ってもらいたいと考えています。また、真田山陸軍墓地の歴史を見ると、歴史を語る中で重要な位置に属しています。大阪の歴史上でも、大事な場所です。
そのような墓地を守る側として、とても責任がある仕事だと感じています。私自身、戦争について知らない世代です。まだまだ、知識が乏しく、戦争について戦後についてを年配の方々にご教授してもらわなければ、わからないことが多いです。今後、少しでも役に立てればと思っています」
--成し遂げたいことは
 「劣化を食い止めれることが成し遂げればと考えるばかりです。このままでは、墓石は劣化が進み、崩れていってしまいます。墓石には、亡くなられた方々の大切な生きた証が刻まれています。それらを損なわないためにも。現在の状態から劣化させず、景観もそこなわず、将来に伝えていきたいです。墓地も含めての、戦争、また戦争遺跡や戦争遺物を風化しないよう、残していきたいです」
 「私事になるのですが、真田山旧陸軍墓地に関わり初めて、祖父の兄について詳しく知りたいと思いました。祖父の兄は、戦争で亡くなっているとしか聞いていません。祖父自身も、戦争に出兵されていた人なので、戦争については話してくれることは少なかったです。だからこそ、いつ、どこで亡くなったのか、どこかに記録に残っているのでは、と考えるようになりました。祖父が話してくれたことをしっかり覚えていたらと、今は後悔するばかりです。
私は、戦争について辛さや、戦時中の経験を聞く立場でしかありません。また、知識も乏しいです。そんな若輩者がどのような役に立つかわかりません。ですが、劣化が進行する墓石を見て、歴史遺産を勉強してきた身としてなんとか手助けできればと動き始めたばかりです。今後も、何とか真田山旧陸軍墓地に貢献できる身になるよう、勉強に励んでいこうと考えています」
 【用語解説】真田山陸軍墓地 明治4年に当時の兵部省が国内で最初に設置した墓地(大阪市天王寺区玉造本町)。西南戦争(同10年)、日清戦争(同27~28年)や日露戦争(同37~38年)、太平洋戦争などで戦死した兵士らをまつる。将兵らの墓碑が約5300基あるが、日露戦争や太平洋戦争では戦死者が急増したため、合葬碑や納骨堂も建てられた。戦後は国から無償貸借契約を受け、大阪市が管理している。平成23年11月に、墓石が壊される被害が相次いだ。

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