
被爆者でもないくせに「長崎被爆者」と偽称し、1時間1万円の「講話謝礼金」を取る「語り部」詐欺師の森口貢。
詐欺師の森口貢は、【「在韓被爆者訴訟」で1審敗訴した長崎市による控訴】や【首相の靖国神社参拝】などを批判してきた反日糞爺(くそじじい)だった!
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140607/crm14060713100007-n1.htm
長崎被爆者に「死に損ない」 横浜の中3生、修学旅行中に暴言
2014.6.7 13:10、産経新聞
修学旅行で5月に長崎を訪れた横浜市の公立中3年の男子生徒数人が、爆心地周辺を案内していた被爆者で語り部の森口貢さん(77)に「死に損ない」などの暴言を吐き、森口さんが学校に抗議していたことが7日、分かった。
森口さんによると、被爆者らが5月27日、3年生119人をグループに分け、爆心地周辺の被爆遺構を案内。森口さんが山里小学校で説明し始めたところ、グループから離れて行動していた数人の生徒が「死に損ないのくそじじい」と大声で叫んだ。森口さんは注意したが、この数人は周りの生徒にも「拍手しろ」などと言って妨害、暴言を続けたという。
森口さんは翌日、手紙で学校に抗議。さらに学校に電話したところ、校長は「大変申し訳ない」と謝罪したという。森口さんは取材に「こんな経験は初めてで悲しい」と話した。
>修学旅行で5月に長崎を訪れた横浜市の公立中3年の男子生徒数人が、爆心地周辺を案内していた被爆者で語り部の森口貢さん(77)に「死に損ない」などの暴言を吐き、森口さんが学校に抗議していたことが7日、分かった。
>森口さんによると、被爆者らが5月27日、3年生119人をグループに分け、爆心地周辺の被爆遺構を案内。森口さんが山里小学校で説明し始めたところ、グループから離れて行動していた数人の生徒が「死に損ないのくそじじい」と大声で叫んだ。
私も、最初は「トンデモナイ糞餓鬼が居たもんだ」と思った。
しかし、いろいろ調べると、中学生から「死に損ないのくそじじい」と叫ばれた語り部の森口貢は、【反日「語り部」詐欺師】の正真正銘の糞爺(くそじじい)だったことが判明した。
まず、森口貢は、「被爆者」でも「被曝者」でもなかった。
http://www.peace-wing-n.or.jp/taiken/top_5.html
ピースウィング長崎
講話者プロフィール
――――――――――
森口 貢(もりぐち みつぎ)
男、被爆時年齢8歳
1945年7月末から8月初め、家近くの造船所が激しい爆撃を受けた。
避難した防空壕近くでも爆発した。
ここは危ないとして6年生の姉と1年の弟と3年だった私、子ども3人を母は連れて、8月4日佐賀の田舎に疎開した。
5日後原爆が投下された。
父の工場は消失し、姉兄は学徒動員中だったが、奇跡的に生き延び、引き返した母と共に私達の所に戻ってきた。
20日爆心地を抜けて長崎に戻った。
戦争は本当に怖い。
平和は尊い。
――――――――――
原子爆弾による被害の実相を広く国の内外に伝え、永く後代まで語り継ぐとともに、歴史に学んで、核兵器のない恒久平和の世界を築くことを誓う。
上記のとおり、中学生から「死に損ないのくそじじい」と叫ばれた語り部の森口貢は、1945年8月4日に佐賀の田舎に疎開したため、8月9日に長崎で被爆していなかった。
しかも、当時8歳だった森口貢は、長崎が被爆した直後の長崎にも行っていなかったため、被爆時の長崎も被爆直後の長崎も見ていない。
森口貢は、原爆投下から11日後に長崎に戻っただけなのだから、「長崎被爆者」と称していることは明らかに偽称であり、「語り部」に相応しくない。
「語り部」は、1時間に1万円の「講話謝礼金」を受け取っている。(ソース:ピースウィング長崎)
森口貢は、実際に被爆体験をしていなかったにもかかわらず、「長崎被爆者」と偽称し、1時間に1万円の「講話謝礼金」を目的に、伝聞や妄想や政治的イデオロギーを語っている詐欺師だ。
次に、森口貢は、元「日教組」所属の反戦反日教師だった。
http://home.hiroshima-u.ac.jp/heiwa/cons/kyoiku/nagasaki1.html
長崎平和研究講座第1回 「平和とは何か、平和学入門」
(一部抜粋)
森口(貢):私は小学校の退職教師で、広島でも同様だと思うのですが、長崎ではいわゆる8月6日、9日を中心とした平和に関する教育、というものをやってます。そのようななかで私たち組合に入っている者は、特に戦争体験、原爆体験、そのものずばりのいわゆる反戦という点から平和教育を強くやってきたのです。
実際に、森口貢は、「在韓被爆者訴訟」で1審敗訴の長崎市が控訴したことを批判した反日糞爺(くそじじい)だ。
http://tomura.lolipop.jp/pead164/164-1.irakukouchoukai001-010.htm
2004年10月10日.イラク世界民衆法廷(WTI)広島公聴会
長崎から来られた森口貢さん
在韓被爆者訴訟で1審敗訴の長崎市が控訴したことを批判
また、実際に、中学生から「死に損ないのくそじじい」と叫ばれた語り部の森口貢は、首相の靖国神社参拝を批判する正真正銘の反日イデオロギー糞爺(くそじじい)だった!
http://web.archive.org/web/20070212180745/http://www.kinyobi.co.jp/KTools/mokuji_pt?v=vol615
週刊金曜日 第615号 2006年07月21日
(一部抜粋)
小泉首相最大の罪は、靖国に市民権を与えたこと(森口貢)
さらに、森口貢以外の「語り部」たちについても、以前から、政治的中立性に欠けることが問題視されている。
長崎での被爆体験を修学旅行生らに話す「語り部」たちは、「イラクヘの自衛隊派遣」「靖国神社」「天皇の戦争責任」「憲法改正」などの政治的問題について、生徒たちに対して、反日左翼としての政治的意見を語り聞かせている。
修学旅行で語り部の話を聴いた学校から、「被爆体験の話はほとんどなく、個人的な政治的意見ばかりだった」と指摘があった程だ。
http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2006/kiji/01/2101.html
被爆語り部の「政治的発言」自粛を要請 長崎平和推進協
2006年1月21日長崎新聞
長崎市の外郭団体「長崎平和推進協会」は二十日、修学旅行生らに被爆体験を語る「継承部会」の臨時総会を市内で開き、イラクへの自衛隊派遣や憲法改正など「国民の間で意見が分かれている政治的問題」について、被爆体験講話の中で言及しないよう要請した。部会員の一部は「被爆体験以外は話すな、と制限するのは理解できない」と強く反発している。
関係者の話を総合すると、臨時総会には部会員三十八人のうち三十三人が出席。要請について協会側は「被爆体験を基に核兵器廃絶と世界の恒久平和を求め、市民の平和意識を高めるのが協会設立の理念」とした上で、「(協会は)市の補助金で運営されている公益法人で、国論を二分する問題には中立の立場。部会員は協会を通じて派遣されており、趣旨を理解してほしい」と説明した。
(以下略)
http://wind.ap.teacup.com/people/940.html
イラク派遣、靖国、天皇責任、憲法…
被爆講話「政治抜き」で 長崎平和推進協が要請
語り部猛反発
(『東京新聞』2006/4/14)
長崎での被爆体験を修学旅行生らに話す「語り部」たちに、財団法人長崎平和推進協会が、イラクや靖国などの問題を講話で取り上げないよう要請し、語り部側が不快感を示している。
協会は長崎市など官民が一九八四年に設立。三十八人の被爆者が語り部として所属している。
発端は一月だった。語り部たちが集まった協会の「継承部会」臨時総会で、舩山忠弘副理事長が「イラクヘの自衛隊派遣」「靖国神社」「天皇の戦争責任」「憲法改正」など八項目を「国民の中で意見が分かれている」として、発言を慎むよう求めたのだ。
協会事務局によると、一部の学校から「被爆体験の話はほとんどなく、個人的な政治的意見ばかりだった」と指摘があったことがきっかけ。永田博光事務局次長(四月一日付で市に異動)は「協会は長崎市からも運営費が出る公益団体で、不偏不党の立場。聞き手に誤解されては困る」と説明した。
(以下略)
長崎の「被爆以外…」問題
「話すな」撤回へ 語り部「伝える」
進む高齢化 継承も課題
(『東京新聞』2006/7/16)
長崎市の外郭団体「長崎平和推進協会」が、修学旅行生らに被爆体験を語り伝える「語り部」に対し、憲法改正など政治問題への言及を控えるように求めていた文書を一転、撤回することになった。
(中略)
元小学校教諭の森口貢さん(六九)もこう話す。「非常に厳しい被爆体験は、その人にしか分からないかもしれないが、平和を追求する姿勢、核兵器を絶対に使ってはいけないという教訓は、未来につなげていくことができる」
ふざけんな!
最後に、エセ被爆者で反日糞爺の「語り部」森口貢は、修学旅行の横浜の中3生から「死に損ないのくそじじい」と言われる前に、先にキレて生徒に対して「出ていけ」と暴言を吐いていた。
http://www.asahi.com/articles/ASG673RG9G67TOLB001.html?iref=com_alist_6_01
修学旅行生5人、長崎の被爆者に暴言 横浜の中学校謝罪
2014年6月8日00時17分、朝日新聞
(一部抜粋)
校長は取材に、暴言の前に森口さんが、態度が悪い男子生徒1人に「出て行け」と言って叱った経緯があったと説明。「(暴言は)逆恨みをして言ったのだろうが、許される言葉ではなく反省を促したい」と話した。今後、生徒の感想文と校長の謝罪文を送るという。
以上のとおり、中学生から「死に損ないのくそじじい」と叫ばれた語り部の森口貢は、被爆もしていないのに「被爆者」と偽称し、反日活動をするトンデモナイ糞爺(くそじじい)だった。
森口貢は詐欺師なのだから、生徒たちは謝罪する必要もなかろう。
▼まとめ▼
――――――――――
1.当時8歳だった森口貢は、佐賀の田舎に疎開しており、長崎原爆投下の被爆者ではない。
2.森口貢は、元「日教組」所属の反日教師だった。
3.森口貢は、1時間1万円の「講話謝礼金」のために、「長崎被爆者」と偽称し、語り部となり、伝聞や妄想や反日イデオロギーを語っている。
4.森口貢は、「在韓被爆者訴訟」で、1審敗訴の長崎市が控訴したことを批判した。
5.森口貢は、首相の靖国神社参拝を批判している。
6.森口貢を含む「語り部」たちは、生徒たちに対して、「イラクヘの自衛隊派遣」「靖国神社」「天皇の戦争責任」「憲法改正」などの政治的問題について、反日左翼としての個人的意見を語り聞かせている。
7.森口貢は、修学旅行の横浜の中3生から「死に損ないのくそじじい」と言われる前に、先にキレて生徒に対して「出ていけ」と暴言を吐いていた。
――――――――――
教育関係者たちに言いたい。
修学旅行で、韓国に行くなど言語道断だ!(詳細記事1)(詳細記事2)(詳細記事3)(詳細記事4)
しかし、上述したとおり、修学旅行で、生徒たちに、広島や長崎の「語り部」たちの話を聴かせることも、非常に問題だ。
修学旅行では、是非とも、「特攻資料館」や「靖国神社」や「遊就館」などに生徒たちを連れて行って頂きたい。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140307/wlf14030715060033-n1.htm
“荒れた中学”変えた「特攻隊」、非行生徒らは明らかに変わった…3年生210人が演じた「特攻劇」、教師も親も泣いた
2014.3.10 07:00、産経新聞[大阪の教育は輝くのか]
花園中の3年生が制作した特攻隊をテーマにした劇「青空からの手紙」の1シーン。会場の体育館のあちこちで嗚咽が漏れた=平成25年9月
荒れた中学校が特攻隊をテーマにした劇を契機に大きく変わろうとしている。大阪府東大阪市の市立花園中学。現3年生は入学時、髪を染めたり、ピアスをしたりといった生徒が「普通」で、暴力、喫煙など非行が絶えなかった。それが、熱血教師らの指導もあって、バラバラだった学年が劇制作などを通じて一つにまとまり、下級生にも「いい影響」が広がりつつあるのだ。卒業を控えた3年生と教師の軌跡をたどる。
■体育館を包んだ嗚咽
昨秋、開かれた文化祭。3年生210人全員参加で作り上げた劇「青空からの手紙」が終わるころには、会場の体育館のあちこちで嗚咽が漏れていた。
テーマは第2次大戦末期の特攻隊員の悲劇と生き方。結婚して子供が生まれたばかりの主人公・中村正は、海軍で出会った友人の坂本から「お前には家族がいる。ここは俺に任せろ」と志願を止められたが、「自分だけが生き残るわけにはいかない」と先に志願した友人に続く。結局、先に出撃したのは中村の方で、そのまま終戦を迎えることに。終戦後、生き残った坂本が遺族の元に届けた遺書には、家族の幸せを願う中村の思いがつづられていた…。
ロングラン公開中の映画「永遠の0」を思わせる内容だが、劇を制作・上演したころはまだ映画は公開されていない。指導・監修にあたった福島哲也教諭(32)は「まだ中学生ですから、原作の本も読んでいない者がほとんどだったでしょう。図らずも、話題の映画と同じテーマの劇を学年全体が一丸となって制作できて、教師も生徒もみな感動しています」と話す。
感動したのは3年生と教師だけではない。「いつもはざわざわと私語が絶えない1、2年の生徒も静かに劇に見入っていました」と福島教諭。保護者の多くも目を真っ赤に泣き腫らし、後日、劇を収録したDVDを見た付近の高齢者の中には「号泣される方もおられました」という。
学年劇の合唱のシーン。3年生全員が何らかの形で参加した=平成25年9月
「どうせ私…」を変えた奇跡“平和学習”…ヒロシマ・ナガサキでなはく特攻館
■グレる生徒、まじめな生徒…互いに疎外感
3年前、現3年生が入学してきたとき、花園中はかなり荒れていたという。
1年のときから現3年を担当している福島教諭は「この子らも、喫煙、夜遊びは当たり前で、上級生に暴力をふるったり、学校のものを壊したり、教師に暴言を吐いたり…。それほどグレてない子でも髪を染めたり、ピアスをつけて学校に来たりしていました」と振り返る。
「もちろん、まじめな子も多かったのですが、いわゆるサイレントマジョリティーで、グレている生徒とは距離を置き、非行を目にしても教師に伝えることをせず、関わり合いになることを避けていました」
当時、同校に赴任したばかりで、学年主任となった福島教諭は、まず校則違反から正していった。ピアスや髪染めなど目に見える違反は、保護者も交えて話し合って改めさせた。またサイレントマジョリティーのまじめな生徒に、非行やいじめがあれば教えるよう依頼した。
生活指導を受ける生徒は当然、反発したが、「彼らは、どうせオレなんて、私なんて、という疎外感をどこかにもっている。教師の側が腹をくくって接していれば、自分たちは見捨てられていないということを必ずわかってくれると信じていました」。
■きっかけは特攻資料館
そして、次に打った手が1年時から計画をスタートすることになっている修学旅行。平和学習ということで長年、定番旅行先だった長崎ではなく、福岡県の特攻資料館「大刀洗平和記念館」に決めた。
教師たちの英断「原爆、空襲だけが戦争でない。命を犠牲にした若者の存在を」
「原爆投下や大空襲だけが悲惨な戦争体験ではないでしょう。家族のため、国のために特攻に志願せざるをえない状況に追い込まれ、尊い命を犠牲にした若者がたくさんいたことを生徒たちに知ってもらいたいと思ったんです」と福島教諭。
事前に特攻に関する資料を調べるなどの学習をさせ、迎えた昨年6月の修学旅行当日。生徒たちの多くは、命を散らせた特攻隊員らが出撃前にしたためた遺書や遺品、特攻関係の資料を前に無言のまま釘付けになった。「生徒は特攻はおろか、戦争のことをほとんど知らなかったでしょうが、彼らなりに何かを感じ取ったようでした」
■劇制作通じ固い絆…教頭も「闇まぎれ感涙」
旅行後、その「何か」が具体的に形になっていく。「特攻をテーマにした劇を文化祭でやりたい」。教師たちが助言したわけではなく、自然発生的にそんな声が上がり、キャスト、ナレーター、道具係、衣装係、音響、照明、パネル、合唱など、学年全員が何らかの役割を負った。夏休み中には、オーディションで選ばれたキャストの生徒9人が稽古を重ね、2学期が始まるころにはすべてのせりふを覚えていた。
制作委員の一人である生徒は「現代では考えられないような悲惨なことが、そんなに遠くない昔に実際に起きていたということにショックを受けました。そして、そういう人たちの犠牲の上に、今の自分たちの平和があるんだ、と強く感じました。そんなメッセージを伝えられたら、という思いで劇を作りました」と話す。
そして迎えた9月の文化祭本番。劇の完成度は高く、榎本欣弥教頭は「私も泣きました。生徒たちに見られたら恥ずかしいので、暗闇に紛れて…」とそのときの感動を語る。
挨拶、清掃…友情を惜しみ“冬の運動会”も自主開催…卒業式にサプライズ
「1年のころはツッパリだった生徒も喜んで裏方の仕事をやっていました。どの子も自分が自分が、というのではなく、それぞれの役割を黙々と果たし、学年が一つになっていました。こいつらすごい、と思いましたね」
■校長にも元気よく挨拶…そして卒業
3年生の影響を受け、他学年も変わりつつある。赤壁英生校長によると、校内ですれ違ってもあいさつどころか、目を合わせようともしなかった生徒たちが「あいさつをするようになりました」。また、以前は委員会活動に生徒が参加することはなく、実質、教師だけで行っていたが、最近は積極的に生徒も参加するようになってきたという。
「まじめにやったら損する、悪いことをして正直に言ったら怒られる、という考えが改まってきたように感じます。今の3年が作ってくれたいい雰囲気を全生徒にもっと広げ、引き継いでいくことがわれわれの仕事だと思っています」と赤壁校長。
受験のまっただ中にある3年生は2月末、自分たちで実行委員会を立ち上げ自主的に「冬の運動会」を実施した。「少しでも勉強する時間が惜しいでしょうに、まるで名残を惜しむかのように取り組んでいました」と福島教諭。
固い絆で結ばれた3年生は14日に卒業式を迎える。学年主任の福島教諭は旅立つ彼らに「サプライズ」を用意しているという。
花園中の3年生が自主的に開いた「冬の運動会」=平成26年2月
★6月7日発売★
『「反日」の敗北』石平, 西村幸祐著(2014/6/7)
「森口貢は、糞爺だ!」
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